ココロの底で願っていること

今日はね、高校時代の友人と会ってました。
この友達は、わたしの周りの人の中では割となんでも話せるほうで、いろんな話ができてとても有意義でした。
いろんな雑貨店まわったり、古着屋さんにも行ったり、
病気のことも、思い切って話しました。
でも、私は気にしないよと言ってくれて嬉しかった。


そう言ってくれる人はいつも友人です。全ての人ではありませんが…
家族はそんなこと言ってくれたっけ?
ううん、責めてる訳ではなくて、自分だってそうだということ。
当事者じゃないから、自分に直接影響が及ばないから、冷静でいられる。


どうして、わたしは友人に対するように、見知らぬ人に対するように、家族を愛せないんだろ?


心の底で、わたしは本当に家族を愛したいと思っているに違いないのに。




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やりたいことができなかった時…




小さなことから大きなことまでたくさんあったように思います。

好きなお菓子を買ってもらえなかった。
お出かけしたかったけれど雨で中止になった…

行きたかった大学に合格できなかった。

などなど…


昨夜、聖書の勉強会がありました。
使徒言行録の16章〜17章でした。
パウロらは、宣教に行こうとしていた所があったが、
7節:イエスの霊がそれを許さなかった

そしてそれがあったためにパウロたちは投獄されたり鞭打たれたりするんだけれども、いい結果になるんですよ、とシスターはおっしゃった。


私も少なからず挫折して病気してツライ思いしたから、今ここにいるんだと思った。
ここにいて聖書の勉強をしてるんだと。




パウロはいろんな地方を宣教してまわったので、その場所によって人々の気質や性格などが全然違うので、当然パウロの説教にしても受け止め方が変わってくるんですね。

そんなところがおもしろいと思いました。


でもパウロが宣教してまわった場所に今キリスト教はないとシスターはおっしゃいました。


パウロがいなければヨーロッパにキリスト教は伝わってないと聞いたことがあります。

だからムダではないんだろうけど、なんだかむなしいなぁと思いました。



今回の勉強会では花粉症の人と、風邪をひいている人がいて、みなさん弱ってました(笑)